【ハンターハンター】ヒソカ=モロウ (ひそかもろう)の持つ、サイコパス性。 。【HUNTER×HUNTER考察 】【なんJ】【2026年現在】
『HUNTER×HUNTER』という作品には、価値観そのものが常識から外れた人物が何人も登場する。その中でも、ヒソカ=モロウという男は別格である。ヒソカを「危険な人物」「変わった人物」「強い相手を求め続ける人物」と説明するだけなら簡単だ。しかし、それだけではヒソカというキャラクターの本質には届かない。ヒソカの異質さは、行動の激しさそのものよりも、何を価値あるものと判断し、何に心を動かされ、何をほとんど気にしないのかという「価値判断の構造」にある。
【2026年現在】の視点から読み返しても、この性格はほとんど揺らいでいない。それどころか、物語が進むほど「この男は最初から一貫していたのではないか」と思わされる。2026年7月3日発売の39巻でも、船内の極めて緊張感の高い状況の中、ゲームに興じるヒソカをボノレノフが見つけるという流れが公式のあらすじで示されている。周囲がどれだけ複雑な状況になろうとも、自分の興味の中心がそこになければ平然としていられる。この異様なマイペースさは、現在のヒソカを考えるうえでも非常に重要である。
そこで今回は、ヒソカの持つ「サイコパス性」を徹底的に考察していく。ただし、ここでいうサイコパス性とは、架空の人物に医学的診断を下すという意味ではない。現実の精神医学では反社会性パーソナリティ障害などは明確な診断基準を用いて扱われ、単に「怖い」「冷たい」「大胆」という印象だけで判断できるものではない。ここではあくまで作品考察として、共感の薄さ、刺激への強い欲求、他者を目的達成のための要素として扱う傾向、恐怖への反応の独特さ、自分独自の価値基準といった特徴をまとめて「サイコパス性」と表現する。
なんJ的に一言でまとめて「ヒソカ、頭おかしい」で済ませてしまうのは簡単だ。しかし、本当に面白いのはそこから先だ。ヒソカは無秩序なのではない。むしろ恐ろしいほど自分の中のルールに忠実なのである。ここを理解すると、ヒソカ、クロロ、なぜ戦うのかという疑問も、ヒソカの念能力がなぜあれほど本人に似合っているのかという疑問も、一本の線につながってくる。
ヒソカのサイコパス性の本質は「感情がないこと」ではない
まず大前提として、ヒソカを「感情がない人物」と考えるのは違う。むしろヒソカは感情そのものは非常に豊かである。面白いものを見れば楽しむ。期待できる人物を見つければ興味を示す。予想を超える展開が起これば高揚する。自分にとって退屈な状況では露骨に関心を失う。つまり感情が乏しいのではなく、感情が動く対象が極端に偏っているのである。
普通の人間なら、人間関係、社会的評価、安全、仲間との信頼、長期的な生活、周囲との調和など、非常に多くのものを同時に考えながら行動する。しかしヒソカの場合、その優先順位が異常なほど単純化されている。「これは面白いか」「自分を楽しませてくれるか」「将来的に面白くなる可能性があるか」という尺度が圧倒的に強い。
ここがヒソカ最大の特徴だ。一般的な倫理観を理解できないわけではない。人が何を嫌がるかも理解している。社会でどう振る舞えば自然に見えるかも理解している。それどころか、ヒソカは対人観察力がかなり高い。相手が何を考えているか、どこで迷っているか、何を狙っているかを読む能力は非常に高い。
つまり「他人の感情が分からない」のではない。「分かったうえで、それを自分の最優先事項にしない」のである。ここがヒソカというキャラクターの恐ろしいところだ。理解力と共感性は同じではない。ヒソカは他者を読む。しかし他者に自分の行動を縛らせない。この独立性があまりにも強い。
だからヒソカには妙な余裕がある。誰かに嫌われることも、集団から浮くことも、自分が普通ではないと思われることも、それほど重要ではない。評価基準をほぼ完全に自分の内部に置いているからだ。精神的な主導権を他人に渡さない。その意味では、ヒソカのメンタルは作中でも異常なほど強固なのである。
ヒソカは「誰にでも攻撃的」なのではなく、興味の選別が極端なのである
ヒソカの人物像を考えるとき、ここは非常に重要だ。ヒソカは何にでも無差別に執着する人物ではない。むしろ驚くほど選り好みする。彼が強い関心を向けるのは、自分を楽しませる可能性を持つ人物、自分の予想を超える可能性を持つ人物、将来的に大きく成長しそうな人物である。
逆に、自分の基準で魅力を感じない相手には驚くほど淡白だ。わざわざ格下の相手を追い続けて自分の優位性を確認するタイプではない。これは一般的な「弱い相手に強く出る人物」とはかなり違う。ヒソカにとって重要なのは支配感そのものではなく、刺激なのである。
だからゴンやキルアのような将来性のある人物には特別な興味を持つ。現時点の完成度だけを見るのではない。「これからどこまで伸びるのか」という未来まで含めて価値を判断する。ヒソカの頭の中には、人間を現在の強さだけで評価するランキングではなく、「将来的な面白さ」を含めた独自の期待値計算が存在しているように見える。
ここが妙に知的なのである。ヒソカは短絡的に見えて、実はかなり長期的に相手を見る。今すぐ自分を楽しませられるかだけではない。数年後、あるいはさらに先に、自分を驚かせる存在になる可能性があるなら待つことができる。刺激を求める人物でありながら、刺激を最大化するためなら我慢もできる。この矛盾した性質がヒソカを単純な衝動型キャラクターから遠ざけている。
【なんJ】的な表現を借りるなら、「ヒソカ、雑魚狩りしかしてないやん」という見方だけでは説明不足なのである。ヒソカが見ているのは単純な格下か格上かではない。「自分にとって価値のある相手かどうか」だ。この価値基準が普通の人物と大きく違う。
ヒソカ最大の異常性は「恐怖より好奇心が先に来る」こと
ヒソカのサイコパス性を語るなら、恐怖との距離感は外せない。普通の人物なら、自分より強い可能性のある相手を前にすると、まず警戒が働く。危険を避ける方法を考え、できる限り安全な選択肢を探す。ところがヒソカの場合、危険度が上がるほど面白さも上がっていく。
ここがとんでもない。普通ならマイナスになる情報が、ヒソカの中ではプラスにも変換されるのである。相手が強い。能力が読めない。展開が予想できない。状況が不利になっている。一般的には不安材料だ。しかしヒソカにとっては「面白くなってきた」という感情を発生させる材料でもある。
この性質があるから、ヒソカはプレッシャーの大きい局面でも思考を続けられる。もちろん何も感じていないわけではない。しかし普通の人物が恐怖によって思考速度を落とす場面で、ヒソカは興奮によって思考速度を維持する。場合によってはむしろ集中力が上がる。
だからヒソカは、相手の能力を観察しながらリアルタイムで戦術を組み替えることができる。念能力のスペックだけを比べれば説明できない強さがここにある。ヒソカの本当の武器はバンジーガムだけではない。「極端な状況でもゲームとして考え続けられる頭」そのものなのである。
最強すぎるのは腕力だけではない。危険を危険として理解しながら、その情報に精神を支配されない。普通なら避けたい状況を、自分から面白い盤面に変換する。この思考回路こそヒソカというキャラクターの異常な強さなのである。
ヒソカの念能力は性格そのものを具現化したように完成されている
ヒソカの念能力を考えると、この人物の性格との一致度に驚かされる。代表的なのが「伸縮自在の愛(バンジーガム)」と「薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)」だ。バンジーガムはオーラにゴムとガム双方の性質を持たせる能力で、ドッキリテクスチャーは表面上の質感を再現して見た目を変える能力として描かれている。
この二つは、単純な火力だけを追求した能力ではない。むしろ使う人間の発想力によって性能が大きく変化するタイプである。くっつける。伸ばす。引き寄せる。離れた場所との関係を作る。罠として利用する。相手の認識をずらす。状況を偽装する。ヒソカの頭の回転が速ければ速いほど選択肢が増える。
これはヒソカの人格そのものだ。ヒソカは正面から数字で押し切る人物ではない。相手を観察し、心理を読み、思い込みを利用し、間合いを操作し、相手の予想から半歩ずれる。
とりわけ「薄っぺらな嘘」という名称は象徴的である。ヒソカにとって嘘とは、罪悪感を伴う重大な行為というよりも、状況を面白く動かすための道具に近い。必要なら本当のことを言うし、必要なら隠す。必要なら誤解させる。重要なのは「正直であること」ではなく、「自分の目的に対して最も面白い結果を生むこと」なのである。
だからヒソカの念能力は派手な必殺技ではないのに恐ろしく強い。能力単体ではなく、本人の判断能力とセットになった瞬間に完成する。言ってしまえば、ヒソカ本人が能力の追加効果なのである。
クロロの念能力との対比でヒソカの本質がさらに見えてくる
ヒソカを理解するうえで、クロロとの比較は避けて通れない。34巻では天空闘技場を舞台に両者の本格的な戦闘が描かれ、クロロが複数の能力を組み合わせてヒソカを追い込む構成になっている。34巻にはNo.351からNo.360までが収録され、その前半部分に両者の高度な駆け引きが集中している。
クロロの念能力の中心となる「盗賊の極意(スキルハンター)」は、複数の他者由来の能力を保有し、条件を満たしながら使い分けていく能力である。さらに「栞のテーマ(ダブルフェイス)」によって能力運用の幅が拡張される。34巻の戦いでは、携帯する他人の運命、神の左手悪魔の右手、人間の証明、転校生、番いの破壊者など、複数能力を組み合わせた極めて複雑な戦術が構築される。
つまりクロロは「準備して盤面を支配する人物」なのである。どの能力をどう組み合わせるか。相手をどこへ誘導するか。どの順番で情報を与えるか。戦いが始まる前からゲーム盤そのものを設計する。
対してヒソカは逆だ。もちろんヒソカも考える。しかし彼の真価は、その場で発生した偶然や予想外を瞬時に利用するアドリブ能力にある。クロロが「完成された問題を出題する側」なら、ヒソカは「出題された瞬間から答えを作り続ける側」なのである。
この二人が噛み合うのは当然だ。能力だけではない。思想そのものが正反対だから面白いのである。
ヒソカとクロロはなぜ戦うのか? 最大の理由は「クロロが最高級の未知だから」
では本題である。ヒソカとクロロはなぜ戦うのか。
これは復讐でも正義でも社会的使命でもない。ヒソカ側から見れば、クロロが「自分の能力を最大限まで試す価値のある相手」だからである。これに尽きる。
クロロはヒソカにとって理想的な存在だ。身体能力が高い。頭脳も高水準。念能力の情報量が多い。どの能力を持っているのか完全には読めない。そして、その能力構成そのものが変化する可能性がある。つまり何度考えても完全な答えを出せない。
普通の人物にとって「能力が読めない」は嫌な条件だ。ヒソカにとっては最高の条件になる。
しかもクロロは冷静である。挑発だけで簡単に崩れる相手ではない。ヒソカが心理を揺さぶろうとしても、その上からさらに計算を重ねてくる。ヒソカが最も欲している「簡単には攻略できない相手」の条件を満たしている。
だからヒソカは幻影旅団という集団自体よりも、その中心にいるクロロに強烈な興味を示していたと考えれば分かりやすい。旅団への所属すら、ヒソカにとっては絶対的な帰属意識ではなく、自分の目的へ近づくための経路として見える。
ここにもヒソカのサイコパス性が現れている。多くの人間は集団に所属すると、仲間意識、ルール、役割、歴史などによって心理的に拘束される。しかしヒソカは集団そのものに自己を預けない。所属しても精神的には独立している。自分の目的が変われば距離も変わる。
ヒソカの中心には常にヒソカしかいない。ここまで徹底した自己中心性は、ある意味では圧倒的である。
クロロ戦で見えた「勝敗より面白さを優先する」という危険な思想
天空闘技場でのヒソカとクロロの戦いを見ると、普通の勝負師とは価値観が違うことが分かる。普通なら、できるだけ自分に有利な条件を作る。有利な場所を選ぶ。相手の弱点を調べる。自分が勝ちやすい状況を用意する。
しかしヒソカは、自分が楽しめるかどうかを重視する。ここが決定的に違う。
もちろん勝つ気がないわけではない。むしろ勝つために猛烈に考える。ただし「絶対に安全な方法で勝ちたい」のではない。「強い相手が全力を発揮した状況を攻略して勝ちたい」に近い。
この価値観は非常に危うい。一方で、戦闘者として見ると凄まじく強い。なぜなら普通の人が精神的に耐えられない条件を、ヒソカは娯楽として受け入れられるからだ。
クロロが複雑な能力構成を公開しても、ヒソカは逃げるのではなく理解しようとする。相手の説明そのものすら情報戦として捉える。「なぜここまで説明したのか」「説明した情報の中に何が隠されているのか」「こちらに何を考えさせたいのか」と、一段上の読み合いへ進む。
この局面を見ると、ヒソカのサイコパス性は単なる冷酷さではなく、「極限状態を娯楽へ変換する能力」として機能していることが分かる。普通の価値観から外れているからこそ、普通なら精神的負荷になる状況で能力を発揮できる。
ヒソカは衝動的に見えて、実際には異常なほど冷静である
サイコパス的なキャラクターというと、何も考えず衝動のまま動く人物を想像する人もいる。しかしヒソカはそこからかなり離れている。ヒソカは衝動を持っているが、衝動を実現するために待つことができる。
この「待てる」という性質が重要だ。
ゴンに対してもそうである。自分の興味だけを優先するなら、もっと早い段階で決着を求めてもおかしくない。しかしヒソカは成長の余地を見る。完成前の相手より、完成後の相手の方が面白いなら、そちらを選ぶ。
これは快楽を求めるだけの単純な衝動型とは違う。「未来のより大きな刺激のために現在の刺激を我慢する」という高度な自己制御である。
だからヒソカは恐ろしい。理性が壊れている人物ではない。理性が非常によく働いている。ただし、その理性が奉仕している目的が一般的な社会人のものとは違うのである。
普通の人物なら、理性は安全、安定、信頼、社会生活を守るために使われる。ヒソカの場合、理性は「自分が最大限楽しめる状況を作る」という目的のために使われる。エンジンは高性能なのに、目的地が普通ではない。これがヒソカの異様さだ。
他者を「人間関係」ではなく「可能性」で評価するところが最も冷たい
ヒソカの人間関係には、一般的な意味での友情や所属意識だけでは説明できない部分がある。彼が他人を見るとき、まず「この人物は自分に何をもたらす可能性があるか」を見ているように感じられる。
ゴンは成長する可能性。キルアも巨大な可能性。イルミは特殊な能力と高い実力。クロロは完成度と未知性。そしてそれぞれに対する接し方が違う。
これは人を見る目がないどころか、むしろ恐ろしく人を見る目があるということだ。相手の現状だけでなく、性格、才能、判断力、成長余地まで含めて瞬時に評価している。
しかし、その評価方法に温かい人間関係の要素が薄い。そこが冷たい。
「好きだから大切にする」というより、「価値があるから関心を持つ」。
「仲間だから守る」というより、「面白い未来につながるから残しておきたい」。
そう見える場面が多いのである。
このためヒソカの親切は非常に読みづらい。ある場面では味方のように動き、別の場面ではまったく違う立場に移る。しかしヒソカ本人の中では矛盾していない。その時点で自分が最も面白いと思う方向へ動いているだけだからだ。
ヒソカは「嘘をつく人物」ではなく「真実に特別な価値を置いていない人物」
これも重要な違いである。ヒソカを単なる嘘つきと考えると浅い。
ヒソカにとって重要なのは、「今言っていることが真実かどうか」ではなく、「この発言によって盤面がどう変化するか」である。
だから本当のことも言う。あえて情報を与えることもある。相手に考えさせるために言葉を使うこともある。そして必要なら誤認を誘う。
つまりヒソカの会話は情報交換ではなく、ゲームの一部なのである。
ドッキリテクスチャーが本人を象徴しているのもここだ。表面だけを別のものに見せる。しかし表面を変えたからといって、必ずしも中身まで偽装する必要はない。「相手がどう認識するか」だけを操作すればいい。
ヒソカは人間関係でも同じことをする。完全な虚構世界を作るのではなく、真実と偽装を混ぜる。その方が相手は読みづらい。
そして恐ろしいことに、ヒソカ自身はその状態を楽しんでいる。情報戦そのものが娯楽なのである。
ヒソカが妙に魅力的に見える理由は「他人に認めてもらう必要がない」から
ここまでサイコパス性を中心に見てきたが、なぜヒソカがこれほど人気キャラクターになるのかも考えたい。
一つの理由は、他人からの承認をほとんど必要としていないように見えることだ。
ヒソカは「自分は強いと認めてほしい」と周囲を説得して回らない。「自分を尊敬しろ」と要求することもない。社会的肩書にも大きな興味を示さない。多数派からの評価によって自尊心を維持している人物ではない。
自分が面白いと思えば面白い。自分が価値を感じれば価値がある。周囲がどう思うかは二次的だ。
この自己完結性が、キャラクターとして強烈なカリスマを生み出している。
本当に強い人物は「俺は強い」と毎回説明する必要がない。ヒソカもそうだ。自分の基準で動き、その結果として周囲が振り回される。自分の価値を多数決で決めない。
なんJで「ヒソカ最強説」が何度話題になろうとも、「ヒソカは実際どの位置なのか」という強さ議論とは別に、この精神的な自立度だけなら作中でも最上位クラスと考えてよい。誰かの評価を奪って自分を大きく見せる必要がない。自分の世界観だけで立っている。
この王者感があるからこそ、危険な人物なのに妙な格好良さが出るのである。
クロロとの最大の違いは「集団を背負うか、自分だけを背負うか」
ヒソカとクロロを比較すると、念能力以上に面白い違いが見えてくる。
クロロは幻影旅団という集団と切り離して考えにくい人物である。クロロ本人は極めて冷静だが、旅団というシステム、仲間との関係、集団としての継続性が彼の判断に深く関わっている。
一方のヒソカには、それがほとんどない。
ヒソカが背負っているものは基本的にヒソカ自身である。
だから行動が軽い。ここでいう軽いとは浅いという意味ではない。しがらみが少ないという意味だ。自分の判断を変更したければ即座に変更できる。昨日までの立場に忠誠を誓う必要がない。周囲から「以前と言っていることが違う」と思われても、それが自分の現在の目的に合っていれば問題ない。
この自由度は戦略上とてつもなく強い。クロロは大量の能力を持つことで戦術的自由度を得る。ヒソカは「背負うものの少なさ」によって人生そのものの自由度を得ている。
クロロの念能力が多様性の帝王なら、ヒソカの人格は自由度の帝王である。
この対比があるから両者の戦いは面白い。クロロの念能力は他者から集めた能力の集合体。ヒソカの念能力は極端にシンプルで本人依存。この時点で、キャラクターの思想そのものが能力設計に反映されているように見えるのである。
クロロ戦後のヒソカに見えるのは「反省」ではなくルール変更
クロロとの一戦を経たヒソカを考えるうえで非常に重要なのが、ヒソカは失敗を感情論だけで処理しないという点だ。
自分のやり方が通用しなかった。それなら次は条件を変える。
この切り替えが早い。
普通なら大きな敗北を経験したあと、自尊心が傷つき、「自分は本当はもっと強かった」「条件が悪かった」「相手がずるかった」といった自己正当化へ向かうことがある。しかしヒソカは、そこに長く留まるタイプではない。結果を見て、次のゲームのルールを変更する。
ここはサイコパス性という観点から非常に興味深い。他人からどう評価されたかより、自分が次にどうするかを優先するからだ。
負けた事実によって自分のアイデンティティ全体を否定するのではない。「この方法ではうまくいかなかった。なら違う方法にしよう」で終わる。
恐ろしいほど合理的である。
だからヒソカは何度でも怖くなる。能力が急に別物へ進化したから怖いのではない。失敗から学習して、次は同じ前提で戦わないから怖いのである。
【2026年現在】船内でもヒソカが余裕を失っていない意味
そして【2026年現在】のヒソカを考えるうえで、39巻の描写は象徴的だ。周囲では極めて複雑な思惑が交錯している。それでも公式あらすじで示されるヒソカは「ゲームに興じている」。
これを単なるギャグ的な余裕と見るだけではもったいない。
ヒソカという人物は、自分の時間感覚まで他人に支配させないのである。
周囲が焦っているから自分も焦る。周囲が緊張しているから自分も緊張する。普通の人間は無意識に周囲の空気へ同調する。しかしヒソカは同調圧力がほとんど効かない。
自分が今ゲームをしたいならゲームをする。重要な相手が現れれば切り替える。
この切り替えができるのは、世界の中心に常に自分の判断基準があるからだ。
この意味でもヒソカのサイコパス性は現在まで一貫していると考えられる。年齢を重ねて丸くなったというより、経験を積んで自分の価値観の運用方法がさらに洗練されているように見える。
ヒソカは本当にサイコパスなのか?
ここで結論を整理しよう。
ヒソカを現実の医学的な意味で「サイコパスである」と断定することはできない。そもそも架空の人物であり、作品内でもそのような診断設定が提示されているわけではない。現実の診断では継続的な行動パターンや発達歴など複数の条件を評価する必要があり、印象だけで決めるものではない。
しかし漫画キャラクター考察として「サイコパス性」という言葉を使うなら、ヒソカほど分かりやすく複数の特徴を備えた人物も珍しい。
一般的な道徳より自分独自の価値観を優先する。他人の心理を読むことは得意だが、相手の感情によって自分の目的を簡単には変えない。刺激を強烈に求める。危険度の高い状況でも好奇心を維持する。嘘や演技を道具として自然に扱う。集団への帰属意識が薄い。そして、自分が魅力を感じる人物に対して異常なほど強い関心を示す。
だが、それでもヒソカは単なる無秩序な人物ではない。
むしろ逆だ。
自分の中では異常なほど秩序立っている。
「面白いか、面白くないか」。
「成長するか、しないか」。
「自分を驚かせる可能性があるか、ないか」。
世界中の出来事を、この独自基準で猛烈な速度で分類している。
だからヒソカはブレないのである。外から見ると気まぐれなのに、内側から見ると驚くほど一貫している。
ヒソカのサイコパス性こそ、ヒソカの「強さ」の一部である
最終的に、ヒソカのサイコパス性は単なるキャラクター付けではない。戦闘能力そのものと深く結びついている。
恐怖に支配されにくい。
相手を観察できる。
感情的になりながらも思考を止めない。
常識に縛られない。
失敗した戦法へ執着しない。
他人からどう評価されるかより、自分が次に何をするかを優先する。
そしてシンプルなヒソカの念能力を、無限に近い応用へ変えていく。
これらが全部つながっている。
ヒソカが強いのは、バンジーガムが便利だからだけではない。身体能力が高いからだけでもない。戦闘経験が豊富だからだけでもない。ヒソカという人間の思考回路そのものが戦闘向きなのである。
クロロの念能力が「能力を集積して最適解を作る」という恐ろしさなら、ヒソカの念能力は「一つの道具からその場で最適解を作り続ける」という恐ろしさだ。
だから「ヒソカとクロロはなぜ戦うのか」という問いの答えも、結局ここへ戻ってくる。
ヒソカにとってクロロは、自分の思考、自分の反応、自分の念能力、自分の戦闘感覚、そのすべてを最大限に使わせてくれる可能性を持った最高級の難問だからだ。
普通の人物なら避ける難問を、ヒソカは笑って解きに行く。
そして一度答えを間違えたなら、問題そのものへの向き合い方を変えて再び挑む。
ここがヒソカの強さである。
なんJ的な「ヒソカ最強」「ヒソカ強すぎる」という議論は、単純な戦闘力ランキングだけを見ていると結論が出ない。しかし精神構造、アドリブ能力、恐怖との距離、念能力との適合性、相手を観察する力、失敗後の修正能力まで含めれば、ヒソカが『HUNTER×HUNTER』でも屈指の厄介な存在であることは間違いない。
【2026年現在】になってなおヒソカが強烈な存在感を保っている理由は、派手な能力を大量に持っているからではない。
たった二つの極めて応用性の高い念能力。
常識から自由な判断基準。
予測不能な好奇心。
異常なほど高い自己完結性。
そして、強者を前にしたときほど楽しそうになる精神構造。
この組み合わせがあまりにも完成されているのである。
ヒソカの本当の怖さは、狂っているように見えて計算できることではない。
計算できるほど頭が切れるのに、その優秀な頭脳を「普通の人なら選ばない目的」のために惜しみなく使えることだ。
そこまで理解した瞬間、ヒソカ=モロウという人物のサイコパス性は、単なる悪役的な属性ではなくなる。
それは彼の念能力、戦闘スタイル、クロロへの興味、人間関係、余裕、嘘、気まぐれ、そして圧倒的な存在感をすべて一本につなぐ、ヒソカというキャラクター最大の根幹なのである。

